君の世界を知りたいと思った
距離が近づけば近づくほど、強くなる齟齬感
同時に、感じる飢餓感
同じ景色を見ていても、きっとまったく違う風景に見えている
躊躇うのは、戻れない事をしっているからか
一度、どこを見ているのかと問いかけたことがある。
甲太郎は間の抜けた顔で、不思議そうに別に何も見ていないと答えた。その答えは合ってはいたが間違ってもいたのではないかと九龍は思っている。
現実に瞳に写っているのは特別代わり映えもしない教室の様子だけだろう。無意味な情報を脳が認識しているかと言えば、見ていないと言う言葉は正しい。
けれど九龍が聞いたのは少し意味が違う。甲太郎の心がどこを見ているのかを問うたのだ。
何も映していない瞳の奥で、眠る心に抱えた景色を。
ただ眠そうに瞳を曇らせて暢気にあくびを漏らす甲太郎に、九龍はその場はそれ以上に追求する気を失って口をつぐんだ。
ぼんやりと何も見ていないような瞳に、時折過ぎる悲しみや苦しみの色。
甲太郎と仲良くなるにつれて、九龍はそれが気になって仕方がなくなっていた。
隣で皮肉っぽく笑っている姿は良く見るが、本当に心からの笑顔を浮かべているところを見たことがない。やる気のない素振りでけれど九龍への付き合いは悪くない。
向けられる確かな情や時折見せる優しさに嘘はないと思う。けれど、彼の本音はその下に巧妙に隠されている。水面下に本人さえも自覚のないまま眠らせている何かがありそうな。
九龍は甲太郎のことが好きだ。家族と師匠以外で今までで一番気の合う人間だと思っている。
甲太郎の性格を考えればとても付き合いやすい男とはいえない。現に八千穂曰く九龍が来るまではもっと酷かったらしい。九龍に引きずられるように、甲太郎は変わりつつあるのだと。
確かに少しづつ、懐いてくれなかった猫が手から餌を食べるようになったみたく、甲太郎は最初の頃に比べて格段に九龍に気を許しているとは思う。
迷惑がられていた部屋への来訪も最近は文句一つ言われないし、触れられるのも最初は嫌がっていたのにこの所は気にした様子がなくなった。
時折、小さな微笑みを見せてくれるようにもなった。
滅多に見せないその顔が見られると、九龍の心は珍しくも感情の針を大きく振る。嬉しさともに蓄積されていく何か。
その感情の名前におぼろげに気付きつつある。
淡い想いをはらんでいる九龍の心の奥底では、もう一つの予感があった。
皆守の全てを諦めたような態度に、過去に何かがあったのかもしれないと察することは容易だった。だが、他にも大きな秘密を抱えていそうな、そんな匂いが勘を刺激している。
九龍が遺跡を踏破していけば行くほど、その匂いは濃くなって行く。微笑を見せる回数が増えるのと比例して、辛さや苦しさを押し殺したような甲太郎の瞳を見ることが増えて行く事がそれをより確実な予感にした。
不安もあった。けれど、九龍は足を止めることは出来ないし、日々は流れて遺跡の最深は近づいてくる。
真実は、望まずとも近づいてくるのだ。
九龍は右腕の龍と胸の蜘蛛を思う。
明かされる真実がどんなものであろうとも、怯まずに強くありたい。どんな秘密が暴かれようとも、甲太郎は甲太郎なのだから。
九龍は徐々に形作られて行く想いと予感を胸に抱いて、今日も遺跡へと足を進めた。
重役出勤をすると一人寮からの道のりを歩いてくるため、やけに道やグラウンドが広く感じる。甲太郎はあくびを噛み殺しながら、のんびりとした足取りで教室へと向かっていた。
今は四時間目の授業が終る頃で、もうすぐ昼休みになる。残りの授業は少ないのに登校しただけでも御の字だと自分では思う。
最近は朝になると九龍が一々部屋まで起しに来て、半強制的に学校へと引っ張っていかれるので無駄に出席日数が上がっていて担任の雛川は大喜びだ。自堕落人間の甲太郎としては鬱陶しいことこの上ないが、何故か九龍に誘われると断れずに一緒に登校してしまう。
今朝も同じように部屋へやってきたのだが、昨夜の遺跡探索が少し長引いて眠るのが遅くなったせいか頭痛がして起き上がるのがだるかった。そう言うと、本当に心配そうな顔をした九龍はいくつかの薬と食料を置いて、一人で登校していった。
本当はそのまま休んでしまおうと思っていたのだが、途中で届いた八千穂と九龍からのメールで目が覚めて、頭痛は治まっていたのでなんとなく登校する気になった。
八千穂からは『具合悪いって九龍君から聞いたよ、大丈夫? 暖かくしてよく休んでね!』と、九龍からは『具合大丈夫か? 無理しないで今日は一日寝てろよな。薬飲んで飯食えよ』とメールが届いた。
ただの頭痛だというのに心配性で律儀な連中だと思わず苦笑がこみ上げて、登校してきた甲太郎を見て慌てる二人の顔を拝みたくなったというわけだ。
校舎に入るとちょうどチャイムが鳴り響き、昼休みになったことを告げる。
途端に静かだった校舎がざわめきに包まれる。授業から解放された生徒たちが昼食を取るために動き始めたのだろう。
甲太郎は上履きへ履きかえると、教室への階段を上がって行く。購買やマミーズに行く生徒たちがけたたましく通りすぎる。
3-Cの扉を開いて中へ入ると騒がしい教室の中で八千穂が目ざとく甲太郎の姿に気がついて立ち上がった。
「あっ、皆守君! おはよっ、具合大丈夫なの?」
「あぁ、もう平気だ」
ぴょこぴょこと小動物のように駆けて来た八千穂は心配そうに顔を曇らせて甲太郎の顔色を見る。平気だと返すと安堵したように息を吐いてから、にっこりと太陽のように嬉しそうな笑顔を見せた。
心からの心配と喜びだと見ている方にも伝わってくる彼女の素直な感情表現には、いつも甲太郎は僅かな後ろめたさと多くの安心を覚える。
日常を象徴するような彼女の笑顔は、甲太郎にとって壊したくないものの一つになりつつある。
最近、そうやって少しづつ手の届く場所に大切にしておきたいものが増えてきた気がしていた。もう何も持たないと、全て諦めて捨てて生きることを選んだはずなのにと思うと、小さな罪悪感が過ぎる。
けれど、思ってしまう心は止められない。
日のあたる場所に引っ張り出されては、自然と太陽の心地よさを思い出してしまうのだ。
そう甲太郎が思い始めた原因である男が、いない。
いつもならば八千穂と先を競うように甲太郎の元へとやってくるのに、教室にその長身は見当たらない。視線だけで探したつもりだったが、八千穂にはあっさり気付かれてしまった。
「九龍君なら、石研へ行ったみたいだよ?」
「石研?」
石研こと、遺跡研究会の部長である黒塚至人と九龍は甲太郎ほどではないものの仲が良い。よく話している姿を見かけるし、あの天香一変人である黒塚と会話が通じるだけでも凄いが、意気投合したり親しげに笑いあったりしてる様を何度も見ている。
さすがは石馬鹿と遺跡馬鹿、と関心してみるが少しだけ胸の底に面白くなさが沸くのを止められない。
自分が一番九龍と親しい自信はあった。いつかの刺青の話も未だに甲太郎しか知らないことだし、九龍はほとんど毎日のように甲太郎の部屋へ入り浸っているので誰よりも過ごしている時間が長い。
それに、自惚れでなければ。
他のバディたちよりも格段に甘やかされている、気がしている。
気まぐれな態度をとっても怒らないし、我侭を言えば文句一つ言わずに聞いてくれるどころか、嬉しそうな顔をする。
九龍の中を占める割合が、仲間たちの中では己が一番多いと分ってはいるのだ。だから、こんな感情を持つのはおかしな事だ。
けれど、甲太郎の足は勝手に動く。
「九龍君探しにいくの?」
「……あぁ、マミーズで昼飯でも食うかと思ってな」
自分で口にしておきながら、理由になっていないと思った。
以前ならば一人で食事を取るのが当たり前だったのだ。わざわざ九龍と一緒にとらなければいけない義務はない。
だが、八千穂はもう甲太郎と九龍をセットだと思い込んでいるので何の疑問も抱かずに手を振って見送る。
甲太郎は居心地の悪さを感じながら早足で教室を後にした。
大きな歩幅で廊下を歩き、生徒の流れに逆らって石研の部室へと向かう。
今日は心配をかけたから侘び代わりに迎えに行って元気な顔を見せてやるだけだと習い性の言い訳を考えて、途中で甲太郎は短い溜息を吐いた。
意味がない。もう、こんな行為には何の意味もない事を気付き始めている。
理由をつけても、言い訳をしても、この足が九龍を姿を求めて動いている事は隠しようもない事実で。早くしろとでもいうように、気持ちが逸る。
朝、頭痛で枕につっぷした頭を撫でてくれた手が心地よかった。薬と食料をわざわざ用意してくれたのを有難いと思った。心配するメールが、酷く嬉しかった。
絆されたなんていう言葉では説明できない領域に、感情が入り込み始めている。
石研の部室に着いた皆守は静かにドアを開いた。ノックなどという高尚な行為はしない。
カラリと小さな音を立てて開いた教室の中では椅子に座った黒塚と、その横に座った九龍の姿が見えた。九龍の手は伸ばされて、黒塚の髪に触れている。緩やかに繊細な動きで指先がウェーブを描く茶色の髪を遊ぶ。
目を細めて感触を楽しむように九龍の長い指先は、黒塚の女性のようにふわふわの長めの髪に絡む。
遺跡で刀を狩って、血を浴びる手が。銃を操り、敵を屠る指先が。
それはまったく見たことない動きだった。優しくて、触れたいという思いのままにそれは動いている。
「ッ……!」
ザッと体中の血液が沸騰した気がした。
瞬間、波が引くように勢い良く血が下がって行く。指先が冷えて、僅か震えた。
「あれ、甲太郎? もう大丈夫なのか?」
「やあ、皆守君」
甲太郎の存在に気付いた九龍はすぐに立ち上がって心配を顔に浮かべて近づいてくる。今まで黒塚の髪をうっとりと触っていたことなど微塵も残さない素振りで。
それに、さらに甲太郎の胃は冷たく重さを増す。
心臓が高く跳ねて、頭の中がぐちゃぐちゃに焼き切れそうな熱を抱えていた。九龍との距離が縮まるほどにその熱は高まって行くようだった。
「甲太郎、まだ顔色悪くないか? 無理しないほうがいいぞ」
「……ああ、そうだな…」
それだけ言うのがやっとだった。
カラカラに干上がった口の中の舌がまともに動いたことが信じられないくらいだ。
渦巻く感情の整理が出来ずに、九龍の顔を見れない。ともすれば叫びだしてしまいたい熱が収まらない。
どうしていいか、わからずに甲太郎は踵を返した。
「やっぱり、帰る」
「じゃぁ送っていこうか? ちょうど昼休みだし」
「平気だ」
九龍の声を振り切るようにして皆守は石研を後にする。心配の色を宿した九龍の声が背に届いたが、甲太郎は振り返らなかった。そんな余裕はもう欠片もなかった。
必死に足を動かして、校舎を歩く。次第に足早になり、やがて走り出した。
無意識に動く足にまかせて、屋上への階段を勢い良く登る。普段ぼんやりとしている甲太郎の姿からは想像もつかない俊敏な動きは幸いな事に誰にも見られていなかった。
屋上へ辿り着くと、勢いのまま手すりに縋り、大きく息を吐き出した。
渦巻く熱を外へはなつように、深呼吸を繰り返す。
脳裏に思い出される手の動きが、どうしても甲太郎を冷静にさせてはくれない。
分かりかけていた感情が、突きつけられるように爆発した瞬間だった。少しずつ育っていた想いは、嫉妬という形を持ってはっきりと眼前に示された。
はらわたが煮え繰り返るというのはこういうことを言うのだろうと、初めての激しい感情を分析する。
九龍の手が黒塚に触れているのを見た瞬間、胸の奥底から強い感情が発露した。
柔らかく髪を遊ぶ指先。
その手の暖かさを、優しさを、甲太郎は知っている。今朝、頭痛に呻く頭を撫でていった大きな手を、誰にも渡したくないと思ってしまった。
完全に逸脱している。こんな激しい嫉妬心は友情から生まれるものではない。普通ならば同じ男に感じるはずもない感情から、生まれるものだ。
甲太郎ははっきり気付いてしまった。九龍へ抱いた愛情に。
暖かい手で触れて、心地よい声で呼んで、傍で笑っていて欲しい。生まれて初めて他人を欲する感情を抱いた甲太郎は大きく戸惑った。報われるはずもない。
九龍が受け入れるわけはないし、何よりも。
いずれ、自分は彼を裏切り敵対する身なのだ。遺跡の最深部で彼の前に立ち、刃を向ける者だ。生徒会副会長として。
九龍がそれまでに倒れる想像はまったくつかなかった。志半ばで膝を着くなどとあの男らしくないと思える。
きっと九龍は、最深部まで辿り着くだろう。
その時のこの感情は邪魔になる。それまでにこの感情が甲太郎を苦しめる事は明白だった。
けれど、一度芽吹いてしまったものはなかったことには出来ない。記憶を封じたように、簡単に忘れる事などそう出来はしないのだ。
甲太郎は強く握り締めた手摺へと額を押し付けて息を殺した。
願わくば、断罪台までの時間が少しでも短いことを。
甘い痛いみに苦しむ時間が短くある事を一人、信じてもいない神に祈った。
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20071229out オフ本黎明より抜粋
- 作品名
- 黎明
- 登録日時
- 2007/12/07 (金) 13:19
- 分類
- 小説