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ペルソナシリーズをはじめとするメガテン関連?

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Boundary dancer

 止まることのない欲に突き動かされて
 見えない線の前で足掻いている



 手を伸ばす。
 触れそうで触れない距離で、指先は空を掻く。
 対象がすり抜けていくのではなく、乾いた砂のようにこの手に掴めないだけだ。
 掴めそうにもないものに手を伸ばす欲が愚かなのか、掴む事が出来ない臆病さが愚かなのか。
 指先と、対象の間には見えない線がある。
 薄く透明なそれでいて酷く硬いラインが、邪魔をする。

 それでも、何度でも、何度でも。

  手を伸ばしてしまうんだ。



 Boundary dancer



 チリチリ焼け焦げた匂いがいつも鼻をつく。
 お前のそばにいれば、いつも。
 それはいつも俺に凶暴な衝動を押し付けてくる。貼り付けた柔らかな微笑の仮面を剥ぎ取って、お前が驚くほど乱暴にその細い肩を掴んで、耳を塞ぎたくなるほど酷い言葉を叫びたくなるような衝動を。
 俺の豹変に、泣いて怯えればいいとさえ。
 胸の奥底から匂い立つ慣れた臭気が今日も俺を駆り立てる。
 けれど、俺はそれをおくびにも出さない。絶対に誰にも気取らせない。

「陽介、おはよう」

 完璧に貼り付けた微笑で、お前にしか見せない微笑で何気ない日常を彩る台詞を吐く。
 腹の中に渦巻くドロドロとした汚いものを隠しながら。

「よぉ、真澄! オハヨーさん!」

 下駄箱へ靴を放り込んだ花村陽介の細身が、俺の声に反応して振り返る。整った顔が朝の挨拶の言葉と共に笑顔になった。それは電気のスイッチを入れた時に似ている。
 相棒である俺に全幅の信頼を寄せた顔と、純粋な好意のみを宿す茶色の強い瞳が曇り空色の俺を映した。
 ただ朝の登校時に教室より先に下駄箱で会っただけ。たったそれだけなのに、この男は犬が飼い主を見つけたような喜色を滲ませる。
 お前にとっては些細な喜びを素直に表したに過ぎない。けれど俺はお前の些細な機微にさえ、簡単に心臓を抉られる。
 この複雑な感情を一言で説明出来る言葉を俺は知らない。
 喜び、悲しみ、苦しみ、苛立ち、そして愛しさ。
 一挙に湧き上がるそれら感情のカードを一枚も出すことなく、俺はいつも通りの無表情を貫き通して下駄箱の蓋へと手を伸ばした。

「珍しく早いな」
「たまには俺だって早く来るっつの」

 靴を履き替え終わった陽介は、先に行かずに俺を待つ。
 木造りの老朽化が目立つ箱から俺は自分の上履きを出そうとして、手を止めた。そこには履物以外の余計な物が控えめに乗せられている。
 ちらりと隣に立つ男を見て、内心で舌打ちをした。見なかった事にしたいが、出来そうもない。
 俺は薄紅色の封筒を指先で摘んで、左手で上履きを取って床に降ろした。靴から履き替えながら、手早く下駄箱に入れられていたクラシカルな厄介物を鞄に放り込もうとする。
 だが、予想していた通りに俺の動きは陽介の言葉で遮られた。

「なにそれ? ……もしかしてラブレターってやつ?!」
「みたいだな」

 本当は一刻も早くゴミ箱に放り込んでしまいたいのだが、人が見ている前では咎められるのが目に見えている。特に人のいい陽介の前でそんなことをすれば大騒ぎされるに違いない。
 ならば後から秘密裏に処理をすればいい。こんなものは無意味でしかないのだから。
 そんな俺の内心をまったく無視して、一番騒いでほしくない相手は目をキラキラさせて食い付いて来る。

「すげー! 誰からだ? 下級生か?」
「……どうでもいいよ」

 誰からであろうと関係がない。読む気もない。未開封のまま捨てるだけだ。
 非難される行為なのだろう。けれど、答える気なんてさらさらないのだから、見るだけ無駄だ。差出人も知りたくない。
 俺にとっては鬱陶しいものでしかない手紙の存在に、異常なほど目を輝かせる相棒の存在がもともと対して良くもなかった俺の機嫌を急降下させて行く。
 どうでもいいなどと、ぞんざいな言葉が出たのは正直げんなりしていからだ。
 しかし、片眉を吊り上げた美男子の顔に俺はそれが失言だったと気付く。

「どうでもいいって……、まさか読まない気か?」
「必要ない」
「なっ、そんなことねーだろ! 読んでやるくらいいいじゃないかよ、きっと一生懸命書いたんだぜ!? 可哀想だろ!」

 分かっていたお決まりの台詞に一瞥し、俺は顔色一つ変えずに教室へと歩き出した。そのすぐ後を不満そうな顔をした陽介がついてくる。
 可哀想?
 その基準を明確に示してみろ、と言いたくなる。
 はっきり言って告白なんて、自己満足に近い。自分の中に湧き上がって処理が出来なくなった感情を、吐き出したい、ぶつけたい、そういう行為だ。
 この手紙に書かれている内容が、告白のための呼び出しなのか告白そのものなのかは分からない。どっちにしろ感情を相手に伝えたいという一点に置いて変わりはない。
 彼女たちの行動と、俺の感情はまったく交わることはない線で区切られている。
 人を好きになり手紙を書いたり思いを伝える行為は、すべて彼女たちの主観によって行われている事だ。そこに俺という人間への感情の方向性はあれど、俺の感情の介入部分は皆無だ。同じように俺が手紙を受け取ってそれを読まずに捨てる事に、彼女たちの感情は介入しない。別の人間の別の行動なのだから当たり前だ。
 手紙を書く人間がいる。一方で手紙を読まずに捨てる人間がいる。
 俺は彼女たちの想いに答える気はなく呼び出しに応じる気もない。結果に変わりはないわけで、俺が差出人も内容も確認しない時点でそこに接点は発生しない。
 彼女たちは読んでほしいから、聞いてほしいから手紙を書く。
 俺は読みたくないし、聞きたくないから手紙を捨てる。
 どちらも完全なる自由意志だ。そこに義務や責任はない。
 俺は差出人にわざわざ手紙を捨てましたよなどと告知する気はないのだから、手紙の内容がなんであれ俺のリアクションがなければ勝手に結論は出るのだ。
 告白を聞こうとしない人に、告白する人が可哀想だという理論はおかしい。
 何故、聞きたくもない事を聞かなければならない?
 陽介の言い分は、完全に告白する側の主観によってのみ語られている。
 手紙を書くのも告白するのも自由だ。ならばそれを見ない、聞かないのも自由であるべきだ。
 受け取り手だけが一方的に責務を押し付けられるのに、俺は納得がいかない。
 例えば手紙を読んで、告白されて、それを断る。
 望む通りの手順を踏んだしても、気持ちを受け取ってもらえなかった発信側は結局可哀想になるに違いない。不思議な事に受信側の心情など、黙殺されてしまうのだ。
 人に好かれるのは有り難い事なのだから、そのくらい多めに見るべきだ、などというお目出度い考えを持っている奴は一人で酔い痴れていればいい。

 人の感情ほど、厄介なものはない。
 重くて複雑で深くて、目に見えない。
 それは身体のどこか奥底から勝手に湧き上がり、脳を侵して身体の制御を支配する。
 そして人から人へと伝染病のように縦横無尽に遣り取りされる。その中で時に膨らみ刻まれて、時に変化し、時に磨耗し消えていく。
 こいつの厄介なところは、他の人間のものどころか自分のものさえ思う通りにはならない所だ。
 普段は理性という制御下である程度の統率が効くけれど、時折突発的な外的要因などによって脳の器官がイカれたように余計な指令を飛ばしてくる。そうなったら、理性なんていうレバーはボッキリ折れて、使い物になりはしない。
 恋愛感情なんて最もたる厄介物だ。
 大脳生理学的見地から言えばただの幻覚のはずが、しばしばこの感情は己の制御の手を離れる。意思とは関係なしに勝手に排出されるドーパミンが、脳の機能を著しく混乱させてしまう。

 そういう厄介な感情が、この手紙には押し込められているのだ。

「読まないよ」

 俺は歩幅を乱さず、振り返らずに言う。声のトーンは平素と変わらない。
 けれど陽介はそこに確固たる意思を感じ取ったのだろう。口をへの字に曲げると、大股で俺を追い越した。
 そしてくるりと振り向くと、乱暴に手の平を差し出す。意図が読めない俺に、眉を寄せたままで口を尖らせてぶっきらぼうな口調で、俺の思いもよらない言葉を発した。

「じゃあ俺が読むから貸して。俺が読んで、お前に伝えればいいだろ!」

 思わず足を止めた俺たちの横を、見知らぬ生徒が通り過ぎていく。まだ登校時間のピークには早いので人気は少ないが、廊下で急に立ち止まった俺たちを不審な目で見ていく者もいた。
 俺は陽介の言っている意味が一瞬理解出来ずに、前髪でほとんどが隠された眉を小さく寄せた。
 
「……それじゃ結局同じだろ」
「そう、だけどさ……。でもっ」

 読みたくないから読まないと言ってるだけなのに、こんなに食い下がられる意味が分からない。
 あくまで素っ気無い俺に態度に、陽介の眦が下がる。悲しさとやるせなさ、もどかしさを映すアンバーの宝石が朝日を反射して煌いて見えた。

 そんな顔をさせたいわけじゃない。

「わかったよ……、読めばいいんだろ」

 俺の言葉に、みるみる沈んでいた陽介の顔が明るさを取り戻す。その分かりやすい変化に俺は空に燦燦と君臨する太陽を思い浮かべた。
 本当に、どうしようもない。
 口が勝手に紡ぎだした言葉に盛大に舌打ちしたい気分が、端から陽介が笑顔によって消されていく。
 お前が悲しまないのなら、それくらいたやすい事だと狂った回路で俺の脳は判断したようだ。

 まったく、恋愛感情って奴はこれだから厄介なんだ。



 そもそも俺が相棒である花村陽介に、何をとち狂ったか恋心なんてものを抱いたのは、俺の手のひらにあるいくつものマメと関係があった。
 この町に来てから出来たマメは最初はひりつく痛みを感じていたが、今はもうだいぶ硬くなっている。刑事である叔父に見られれば、原因を言い当てられてしまうかもしれない。
 このマメは剣を握るようになってから出来た物だ。硬い鉄の塊を握り締め、幾度となく振るううちに自然と出来たのだ。
 俺たちは戦っている。
 この町を脅かす、謎の事件と。
 都会から転校してくる前の俺ならば、鼻で笑って頭の構造を疑うだろう発言だ。
 けれど方法不明の連続殺人は現実にこの稲羽市で起こっているし、警察や一般には理解出来ない事件の一部を俺たちは実際に体験しているのだから仕方ない。
 テレビの中に入れるだなんて、世迷い事もいい所だ。精神を病に冒された人間の発言にしか思えないが、その能力を一番最初に発現したのは他でもない自分だった。
 稲羽市に蔓延するマヨナカテレビという噂を試してみようという、クラスメイトである里中千枝のくだらない提案に流されて、半ば義務感のような気持ちで俺は雨の夜に自室のテレビの前に立った。
 信じ難いことに電源を入れてないはずのテレビのブラウン管にざわめく砂嵐と人影が映し出され、噂は見事に証明される事になる。それだけならば、何かの混線や故障などを疑うレベルだっただろう。
 けれど俺はその日、着実に非日常への一歩を踏み出した。
 突然襲い掛かる耳鳴と、頭の中には反響する謎の声。引き寄せられるようにテレビに手を伸ばした俺は、危うくブラウン管にずぶりとめり込んだ手を引っ張られて中へと吸い込まれそうになったのだ。
 最初は自分の頭がイカれたのかと思った。
 けれど、イカれていたのは俺ではなく、この稲羽市自体だったらしい。
 それは陽介の慕う先輩である小西早紀が死体となって証明してくれた。転校初日に逆さ釣りになって発見された山野真由美アナに続き、彼女も無残に天から吊るされた。
 テレビの中の世界に彼女たちと関係する痕跡をいくつも発見し、テレビの中に蠢くシャドウと戦えるペルソナ能力を覚醒した俺たちだけが、事件の真相を追う事が出来るのならば、それは必然でしかない。
 俺に提示されたのは青き扉を開く契約者の鍵。
 真実を手に入れなければならない。
 現実主義であるはずの俺がそう使命のように感じた事が、もう道行きを示していた。
 自称特別捜査隊となった俺たちは、何かに突き動かされるように、真実を探して幾度となく戦うハメになった。

 花村陽介は、一番最初に特捜隊を発足した者と言えるだろう。
 淡い恋心を抱いていた相手、小西早紀の死の謎を知るため、テレビの中の捜査を初めに決行した人間だからだ。言い出したのは陽介だが、テレビの中に入れる能力を使い同行したのは俺自信だから、二人できっかけを作ったとも言える。
 不器用な男だな、と思っていた。
 転んでばかりなドジな所もだが、陽介の相手との距離の取り方が俺の目には不器用に映った。
 陽介は俺と同じく都会からの転校生で、大型スーパージュネスの息子でもある。ジュネスによって経営が圧迫された商店街では陽介を良く思わない人間も多く、人柄が悪いわけでもないのに彼は稲羽市の中でどこか浮き気味だった。
 元々の周りの空気を察しやすく、気にしがちな性格が災いしたのだろう。独りになるのが寂しくて怖いから、相手の機嫌を取ろうとする。よく言えば人が良いのだが、悪く言えば臆病。
 妙に人の顔色を伺う視線に、俺は最初僅かばかりの同情心を抱いた。
 そして、テレビの中で小西早紀の心が作り出したと思われるコニシ酒店で、陽介の抑圧された心の象徴であるシャドウと俺は相対する事になる。
 田舎のうざったくてつまらない日常から逃げ出したい、ヒーローになりたい。そういった思春期ならば誰でも抱くであろう感情を吐露した陽介のシャドウを俺はこの手で倒し、陽介は苦しみながらも己の分身を受け入れてペルソナ能力を開花させた。
 それから何度も仲間たちの同じような場面を、この目で見て受け入れていく事になるのだが、初めてそれを見た俺は衝撃的だった。
 告げれば、おかしいと非難されるかもしれない。
 けれど、俺はその光景を酷く綺麗なものだと思ったのだ。
 それは生まれ変わるための儀式のようだ。
 裸になって穢れの石を全て流した川に全身を埋めて、洗われて石から宝石になったそれを身に着けて、人が新しい人へと生まれ変わる。それは再生の儀式。
 俺はその時陽介を、とても強くて弱い綺麗な生き物と思えた。
 恥ずかしい所を見られたと言う陽介に、俺は心の底からそんなことはないと答えた。陽介は俺の答えに照れたように、けれどとても嬉しそうに微笑んで見せた。
 その笑顔に胸を鷲掴みにされたような感覚を覚えた俺は、相棒へそれ以上の感情を抱いたことを自覚する。
 それから捜査を続けて行くうちに、千枝や雪子、完二など他の仲間たちのシャドウとペルソナ覚醒も目にした。けれど、綺麗だとは思うものの、陽介ほどの衝撃は受けなかった。
 何故陽介だけが特別なのか。初めて見たものだったからという理由だけでは説明がつかない、言葉にならない何かが奥底にずっと居座り続けている。

 陽介が笑うならば、どんなことでもしたいと思う。幸せであることを強く願う。
 芽生えた感情は俺の意思とは無関係に、陽介という花の養分を吸って成長し続ける。もっともっとと際限なく欲が深くなって行く。
 笑って欲しい、そばにいたい、触れたい、受け入れてもらいたい、手に入れたい。
 ブレーキが効かずに壊れた感情の列車が、危うく境界線を越えそうになる。その度、俺は己を戒めるために何度も繰り返す。
 失うくらいなら、手に入らないほうがいい。
 一時の激情で相棒という境界線を踏み躙って、お前を絶望させるくらいならば、永遠にこの場所に立ち止まっていることを俺は選びたいのだ。
 友情という仮面を被って。



 人気のない校舎裏に、俺は突っ立っていた。
 気分は憂鬱という他なく、こんな事になった原因を恨まないでもない。けれど結局は俺が選択した事だと、夕日に焼かれる大地へと諦めのため息を吐く。
 下駄箱に入っていた手紙の差出人は下級生の女子生徒だった。陽介にせっつかれて仕方なく手紙を読んだ俺は、放課後にこの場所での呼び出しが書かれていた時点で、手紙を捨てなかった事を激しく後悔した。
 まだ手紙そのものに告白が書いてあった方がマシだった。返事を返さなければ、本人に会う事もなく幾分気分は楽に終われる。
 呼び出しに応じなければいいだけの話なのだが、陽介がそれを許すわけもなかった。ちゃんと行ってやれよな!などと背中を叩かれ、否と言える訳もなく。俺は流されるままにここにいる。
 愚かだとしか言いようがない。
 他人に振り回されるなど、俺らしくもない。はっきりノーと言える性格だと自負しているはずなのに、気がつけばこの体たらくだ。
 本当に厄介な感情を抱え込んだと、運命のいたずらに天を仰ぐ。広い空は朱に染まり、煌々と焼ける太陽は沈み行く。その深い色に、またお前の瞳を思い出す俺は重症患者に違いない。
 俺が帰ってしまいたい衝動と戦っていると、千枝と同じくらいの小柄な背丈の少女が、ゆっくりとした足音と共に校舎影から現れた。夕日の中から滲み出すように、うつむいた少女は俺の一メートル前で立ち止まる。
 空と同じくらい頬を染めて、胸の前で握り合った細い手は小刻みに震えていた。細くたおやかな少女は、ゆっくりを顔を上げる。俺は本当は顔を背けたかったが、我慢した。
 おかっぱくらいの長さの黒い髪が風でふわりと揺れた。黒目がちな目はチワワに似ている。

「せ、先輩、来てくださって……有難うございます。あ、の……、私、」

 耳を塞いでその言葉を聞かない選択肢は、俺には許されていない。
 本当は今すぐ背を向けて、この場から立ち去って何事もなかった事にしてしまいたいくらいなのに。
 俺の思いなど知らず、少女は桜色の小さな唇を震わせながら、想いを告げた。

「私、先輩の事が好きなんです」

 まるで、心臓を銃で打ち抜かれたようだ。
 そしてドクドクと溢れる血が、胃の中にずっしりとドロついた血溜まりを作っていく。俺はきつく奥歯を噛み締める。
 上気した頬で、潤んだ目で必死に俺を見上げながら想いを伝えてくる少女。膨らみすぎて爆発した風船の中の、ラッピングされたハート。
 その質量は耐えがたく、呼吸が苦しく感じて俺は目を伏せる。
 恋愛感情なんてもんは、酷く厄介な独りよがりの感情だ。
 けれど、やはりそれは吐き出さざるを得ないのだろう。そうやって営んでいくのが人間という生き物だからだ。それを否定するつもりは毛頭ない。
 けれど、やはり手に余る厄介な感情なのだ。
 
「好きなんです」

 重く、圧し掛かる。

 もういいじゃないか。
 どこかで誰かが囁いた。
 目の前の少女は文句なしに可愛らしい。小動物のような愛らしさで、性格も一途で真面目そうな印象を受ける。彼女にするにはかなりの優良物件に違いない。
 告白を受け入れれば、極普通の健全なカップルが出来上がる。それが楽だということを俺は知っている。
 彼女もそれを望んでいて。

 酷く、安直な選択肢を前に俺は。

「ごめん」

 捨てられない物を、選ぶしかない。
 境界線を越える気はなくても、俺はこの歪んだ恋心を捨てる事が出来ない。
 口の中に苦味が広がって舌がざらついても、俺はまっすぐに彼女を見ながらもう一度謝罪の言葉を口にした。
 小さな顔が歪んで、瞳から透明な雫が滴り落ちる。何度も何度も、苦い雨が落ちていく。伝い落ちて、焼けた大地に飲み込まれて消えていく。俺にはそれを救ってやる資格なんてない。
 言葉なく彼女はぺこりと頭を下げると、そのまま踵を返して走り去っていった。
 後には俺と焼け爛れた太陽だけが取り残された。

 人の気持ちは重なり合うことの方が珍しい。これだけの人がいる中で、惹かれ合うならばそれは軌跡に近い。
 ならば一方通行でしかない感情の行き場は、どこへ流れ着くのだろう。
 この胸に残された重く苦い血の塊は、しばらくは消えそうにない。彼女のまっすぐな黒髪の記憶と共に。
 俺の抱え込んだ煤けた想いも、陽介という行き場がなければいずれ朽ちて果てるのか。それともいつかは境界線を越えて、隣という居場所を引き換えにこの血の塊をお前の胸の奥にも残すのか。
 
 夕闇に包まれながら俺は、迷子のように途方に暮れる。



 教室へ戻ると、俺の机の上に人影があった。
 とっくに下校時間は過ぎていて、夕日もほぼ沈みかけた他に人気のない教室は薄暗い。
 机の上に突っ伏した人影は動かない。けれど俺は近寄る前にそれが誰だか分かっていた。

「寝たふり」

 机の横へ立って、ふわふわと跳ねた髪の一房を引っ張る。無反応なので、もう一度引っ張るとぐぐもった声が聞こえた。

「……ごめん」

 何が、とは聞かなかった。
 陽介は俺の席で顔を伏せたままだ。
 けしかけた手前、気になってピーピングしていたのだろう。使い古された台詞の陳腐な告白劇を見て、何か思うところがあったらしい。
 何はともあれ、これで今後ラブレターを読めとせっつかれないで済みそうなのは有り難い。

「帰るぞ」

 うんと小さく頷いて、陽介はやっと身体を起こした。
 俺は目線を合わせずに、机の横から鞄を取るとそのまま歩き出す。正直、陽介の顔を見る勇気がなかった。今なら余計な事を言ってしまいそうだった。
 けれど数歩も行かずに学ランの袖を引かれて、強制的に立ち止まらされる。反射的に振り向くと、まるで犬耳を垂らしたようにへたれ顔の相棒がいた。
 俯いて、困ったように目線を彷徨わせて、もうごめんと一度呟く。
 まるで行く先をなくして雨の中で迷子になった子犬だ。
 首輪から繋がる手綱を探して手を彷徨わせたくなりながら、俺は気にするなと告げる。
 陽介は俺の言葉に顔を上げた。苦渋を滲ませた顔は救いを求めているようでもあり、罰を与えられたいようでもある。罰なら、今すぐにでも。

「真澄……、俺……」

 陽介の手が伸びて、血の澱が溜まったままの俺の胸に触れた。その場所を癒したいとでも言うのか、暖かな手の平が遠慮がちに心臓の上に当てられる。
 熱が、滲む。
 言葉を捜して陽介の目が泳ぐ。何を言いたいのか、自分でも整理が出来てなさそうな顔だ。
 俺は心拍数が跳ね上がりそうになるのを必死で抑えながら、なんとかポーカーフェイスを保つ。触れた場所から滲む熱が、脳を焼き切りそうに燻っていたとしても。

「なぁ、もしかして、……お前、好きな奴でもいんの?」

 俺の胸に当てられた陽介の手が、拳の形に握られる。
 意を決したように聞かれた問いに、俺は答えを返すことは出来ないのに、勝手に鼓動のテンポは早まってしまう。陽介に気取られていないか焦りを覚えながら、けれどその手を振り払えずに。
 俯いた陽介の顔が見えないことが、せめてもの救いか。

「……だったら?」

 夕闇に解けて消えそうだった陽介の顔がバッと上がる。驚愕の色を目に浮かべて、胸に置かれた手は俺の白いシャツを力を入れて掴んでいた。
 
「誰?! あ、天城? それとも里中とか……?!」

 今すぐ凶暴な衝動のままに引きずり倒して、お前だよと体中に刻み付けてやりたい。
 巧妙に隠した牙が剥き出しになりそうになって、俺は陽介から眼を背けた。もう教室は薄暗いというのに、そのまっすぐな視線だけが眩し過ぎる。
 俺は何事もなくこの場を切り抜けるためのシナリオを、オーバーヒートに歯車が軋みをあげる脳に思い描く。

「冗談だよ。好きな相手なんていない」

 いたずらをしてやったりという薄笑いを無理やり表情筋に浮かべさせて、俺は口を機械的に動かした。
 俺とお前の間には強固に作り上げた境界線が存在する。絶対に超えてはいけない線の前で、俺は無様に踊り続ける。道化のように、お前の信頼を受けるに相応しい相棒を演じ続ける。
 
 この太陽を閉じ込めた琥珀を、裏切りに歪ませるよりはなんて容易い。

「……嘘つくなよ!」

 ドンッと胸を叩かれた。
 その程度でふらついたりはしないが、衝撃で空気が肺から一気に抜ける。呼吸が苦しいのはそのせいだけではないけれど。
 強い光を宿した瞳が、逃れることを許さないと睨み付けて来る。
 手を伸ばしたくなる、綺麗な強い陽。
 やめてくれ、そんなに照らさないでくれ。黒いもので雁字搦めに縛って奥底に沈めたそれが、透けて見えてしまいそうだ。
 俺は歪みそうになる表情を律して、勤めて平素と同じトーンで声を出す。

「嘘じゃないって」
「だったら、なんであんな……、あんな顔すんだよ……っ!」
「……覗きなんて趣味が悪いな、陽介」
「誤魔化すなよっ! お前なら、靡かない子なんていないだろ? なんで告んねーんだよ?」

 完全に俺に好きな相手がいると決め付けた陽介は、不満げな顔でせっつく。
 次第に苛立ちを覚えてきた俺は、滲みそうになる境界線を視認しようと目を凝らす。それは踏み越えてはいけないライン。
 ともすれば檻の箍は簡単に外れて、獰猛な獣が飛び出してお前の喉元を食い千切る。
 俺は胸元を掴んでいた陽介の手首を掴んで外した。それに、熱くなっていた自分に気付いて我に返った陽介が、困ったように頭を掻いた。
 そして決まり悪げに口を開く。

「……悪ぃ。なんか……お前みたいな格好良くていい奴に彼女いないのもったいねーと思うんだ。けど、……お前に彼女出来たら、あんま一緒にいれなくなんのかなって思ったらさ、……つまんねーっつか、おもしろくねーっつか……、その、相棒よりやっぱ恋人のが立場が上じゃん? 優先順位ってーの? だから、……あ~、ごめ、俺ウザイ事言ってる、うわ、マジごめんっ、はは、ウザイよな、何言ってんだろ俺……!」

 早口で喋りながら真っ赤になった陽介に、俺は呆気に取られて目を見開く。
 何それ。
 彼女より、俺の事を独占したい。そう聞こえて俺は自分の聴覚の精度を疑った。
 バカみたいに跳ね上がった心音が、教室中に聞こえていそうな錯覚さえ覚える。
 どれだけ境界線を意識して引いても、どれだけのバリケードを土嚢で組み上げても、完璧に厚い仮面を被っても、お前のたった一言であっけなくそれらは崩壊してしまう。
 たった一瞬で、脆くも全て。
 あれほど必死で押し殺したはずの柔い生の感情を、皮を剥かれて無理やり露出させられたような衝撃が、俺が作り上げた相棒という俺を端から壊していく。
 失うくらいなら手を伸ばすまいと。けれど狂うほど焦がれた。
 俺の全てを、お前が暴風雨のように攫って行く。
 ボーダーギリギリで踊らされていた俺が滑稽過ぎて、

「えっ、……?!」

 ドサリと鞄がリノウムの床に落ちた音が、静まり返った二人だけの教室に大きく響く。
 手を伸ばして、俺の手が境界線をぶち壊して、お前に届いた。
 先ほど離した手首をもう一度掴む。そして強い力で引き寄せる。
 いとも簡単に、あっけなく陽介の細い身体は俺の腕の中に転がり落ちてきた。
 もう焼け焦げた匂いは鼻に付かない。燃え上がって、全て焼き尽くしてしまったから。
 変わりに、腕の中からは健康的な日向の香り。驚いた顔で動揺する陽介の両手首を握り、俺は至近距離まで顔を近づけた。
 これは失うための呪文。けれどそれを俺は口にせずにいられない。
 強固に守ろうとしたお前の相棒という立場をどぶに捨てて、築いた信頼を粉々に砕くのだと分かっていても、もう放たれた獣は檻へは戻らなかった。

「もっと言って。もっと、俺にどうして欲しいかはっきり言ってよ、陽介」

 一ミリの膜。あと、たった一ミリ。それを侵す、許しが欲しい。
 吐息が掛かる距離で、俺は震えそうになる唇でお前に許しを請う。
 お前の感情がただの親友への独占欲なんだとしても、たった一グラムの望みに縋りたい。どこからくる感情でもかまわないから、お前の中に溜まったその欲を俺にくれないか。
 臆病な、俺に。

「お、俺は……お前と……一緒にいたくて、……お前は俺の特別、だから……俺もお前の特別が、欲し……っんぅ?!」

 お前が求める特別と、俺が求める特別が違っていても、もう構わなかった。
 俺は陽介のたどたどしい言葉を最後まで待てずに目の前にある薄い一ミリの膜を破って、禁断の線を踏み越えた。守りたかったものを踏み躙って。
 夢にまで見た陽介の唇は少し乾いていて、柔らかい。そして、熱い。
 膨張しきった俺の厄介な感情が、全て蹂躙して貪り尽くせと命じてくる。それに逆らわず、俺は放課後の薄暗い教室で相棒の唇を思う存分食んだ。
 驚愕に身動きが取れないのをいいことに、口内まで侵入して余すところなく舐めて吸い上げて。
 全て、愛したい。全部俺のものにして、逃げられないように。
 ああ本当に、失うくらいなら鎖に繋いで閉じ込めてしまおうか。

「ん……っ、な、何す……?!」
「嘘だよ」

 一旦唇を離した俺は至近距離で視線を交錯させたまま、呟いた。
 艶めいた陽介の唇が戦慄いている。それだけで、どうしようもないほどに興奮した。

「好きな子なら、いるよ」
「え……ッ! だ、誰……なんだ、よ?」

 囁かれた俺の言葉に、混乱と動揺を顔に浮かべて陽介が震える声で問うた。
 俺は笑い出したくなる衝動を抑えるのに苦労した。
 やはり、滑稽だ。そして、酷く厄介なのだ。

「お前がそれを聞くの? 聞かなくても、……分かってるだろ?」

 陽介の肩がビクリと震えた。
 それを見た俺の中の野獣が、もっと酷薄な言葉を浴びせて手酷く傷つけ、許しを乞うほどに泣かせてしまいたいと舌なめずりをする。
 同時にどうすれば彼をこれ以上傷つけずに済むか模索する思考も確かに存在している。
 傷つけて、守りたい。俺の中に残酷な純粋さは同居する。

「……わ、わかん、ねぇよ……っ!」

 悲鳴のように搾り出した陽介の声は若干掠れていて、この場の空気がやたらと乾燥している事に気が付いた。
 それを補うかのように雫。
 ぽろりと伝い落ちた透明な涙に、俺は動揺よりもあの時の記憶と感覚を思い出していた。シャドウを受け入れる様を見た時の、綺麗だという感嘆を。
 陽介の頬を伝い落ちるそれに、自然と俺の手の力が緩む。
 
「わかんねーよ、全然! お前も……、俺も……ッ!」

 己を拘束するものを振り払って、陽介は踵を返して勢い良く駆け出した。そのまま教室を飛び出していく。
 俺は激しい足音が聞こえなくなるまで、開かれたままの扉をずっと見つめていた。
 また、世界から取り残されたように。

 手の平を見る。
 大事なものは、俺の手を風のようにすり抜けて行った。
 線を越えてしまった。そして、傷つけた。
 苦い後悔が身体全体を支配し始めるのに、抗う気も術もない。そのまま暗い闇に飲み込まれて消えてしまいたいほどだ。
 手の平の温もりの残滓を握り締める。
 感覚を思い出すように目を閉じれば、陽介の泣き顔がこびりついたように瞼の裏から離れない。
 俺はどうすればよかった?
 特別を欲しがっているのはお前じゃなくて、本当は俺の方。お前の示す特別の意味じゃ満足出来ない。もっと揺ぎ無くて火傷するほどに熱い質量が欲しい。お前という存在が生み出すもの全てが、俺たちを形成する意味であればいいと願った。
 どうすれば、踏み留まれた?
 踊りつかれて眠るまで、狂い疲れて朽ちるまで、気の遠くなるような時間を待てば、この厄介な想いを風化させることが出来たのだろうか。
 偽り続けて傍にい続けることを選択したはずなのに、今はもうそれが正しかったのかも分からない。

 残滓はまだ消えない。
 後悔は鈍く痛み、重く心臓を苛む。

 けれど、一瞬触れた熱は確かに俺を満たした。
 まるで生まれ変われるかのように。

 陽光の消えた暗く沈む教室で俺は、いつまでも立ち尽くしていた。



 手を伸ばした。
 踏み込むことを禁じたはずの距離を越えて、指先が甘く掻く。
 叶わないと思っていた願いは、驚くほど容易くこの手に掴むことが出来た。
 掴んで壊してしまう結末が見ているのに止められない欲が愚かなのか、掴む事を禁じていた臆病さが愚かなのか。
 本当は俺とお前の間には線なんてない。
 強固に高く築き上げたボーダーは、俺が一方的に積み上げたものだ。

 失ったとしても、何度でも、何度でも。

  後悔しても、苦しんだとしても。

   手を伸ばしてしまうんだ。



 止まることのない欲に突き動かされて
 引いたはずの線が見えなくなる

作品名
Boundary dancer
登録日時
2009/09/15(火) 15:24
分類
ペルソナ4::SS(千里)
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